2011年3月31日木曜日

マリ共和国出張

先週の半ばから週末へ掛けて
西アフリカのマリ共和国首都バマコへ調査の為に出張してきました。
出発前、何やら初めての出張だからかドタバタしていて
ろくにマリ共和国の事を調べていませんでした。

出発前夜になって調べてみると
自分で予想した以上にアフリカ大陸の西側にあります。
そりゃぁ、アディスアベバからでも6時間強も飛行機で掛かりますね。


さて、空港について事務所から迎えに来ていただいた車に乗り込むなり
外気温計を見て驚き!37℃。アディスアベバの20℃前後に慣れた体にはしんどい暑さです。
しかも今の時期が一番暑いのではなく、来月はもっと暑くなるというのだから驚きです。

今回の出張目的
「現地事務所のIT環境と、現地IT環境の調査」
ですが、予想以上に自然環境が厳しいのが気になります。
湿度こそ低いのですが(むしろ乾燥が激しい)、気温は高く、砂埃が凄まじいです。

 出張前は
“それぞれの事務所へコピー機入れて、サーバー入れて、それぞれを共有して”
と思っていましたが、後にも書く理由から、それは正解ではないと感じました。
砂埃で壊れることを前提に、高価高機能の機材を入れるのではなく
ある程度の機材を入れて、壊れたら入れ替えやすいような環境構築が必要です。


さて、”現地のIT環境調査”といっても、それは調達に関する部分がメイン。
これまでの経験上、途上国では正規補修部品を手に入れるのは苦労します。
(DIY的な修理屋さんはたくさんあります)
多くのIT関連の物を扱うお店はよろずや的で、何でも置いてありそうです。

しかし、“安定供給”という部分では、大きな”?”が付きます。
大体手に入りやすい傾向としては
・パソコン:HP、Lenovo(旧IBM)、TOSHIBA
・プリンタ:HP
・コピー機:CANON
でした。
しかしバマコでは複合機(コピー、プリンタ、FAXが一体)は手に入りません。
輸入しなければいけないので、当然消耗品も輸入になります。

今回のBamakoで救いだったのは、Dellの正規代理店が存在したこと。
途上国では多くが勝手に看板を掲げているので、当てにならないのですが
ここのお店はDellのWebサイトにもキチンと載っています。

   

Dell製プリンタ(OEMですが)の取り扱いもあり、消耗品もストックしています。
責任者の方と話すと、“欠品していても2週間くらいで取り寄せられるよ”と
おぉ~、セニョール!何て心強いんだ!!

残りウガンダと、ナイジェリアも同様に調査します。
これらの調査を元に、システムを構築していく事となります。


これまで”アフリカのIT環境”とひとくくりにしていましたが
今回の出張で目を覚まされました。

2011年3月21日月曜日

見直すべきか?否か?

赴任をしてから3週間弱。この間、様々な事が起こりすぎました。
住むところ見付けるのに苦労をしていましたが
そんな事よりも、震災が日本で起きて色々と気をもむようになったり
先週の金曜日ですが、突如としてMacintoshが壊れてしまいました。
色々ありますが、仕事はしっかりとこなしていかなければなりません。

さて、本日分野ごとの責任者を前に、今回のテーマである
「情報システム構築」
の大まかではありますがプランを話すことになりました。

これまで“情報システムとはなんぞや?”に始まって
色々な面から、どういったシステム、もしくは仕組みを作るべきか考えてきました。
“継続的に専任の技術者を置くことは出来ない”と聞いていたので
そこも考慮して計画を立ててきました。

さて、実際に説明をするとガッカリした顔をされてしまいました。
共有サーバーが存在しない現状を考え
1.共有サーバーを利用して情報共有
2.クラウドのシステムを利用して拠点間情報共有
3.ERPの導入検討
といった段階を踏むことを考えていたのですが
もっとインパクトのある提案を期待されていたようです。


果たして“おぉ!”と言われるようなシステム導入を再提案するべきか?
それとも、自身の経験を元に着実な道を進むべきか?
もう少し所長と話をしながら検討を進めて行こうと思います。

水曜日より所長と出張。話す機会があるといいのだけど。

2011年3月15日火曜日

役割をきっちり果たすべきと思う。

震災が起きた当日、アパート探しで事務所を留守にしていた。
そんなとき、日本人の同僚から
「日本で大きな地震が起きましたよ。連絡取った方が良いですよ!」
と電話を頂いた。

その数日前、9日に東北で地震があっと記憶していたので
その時は深刻に考えていなかった。


事務所へ着いて日本人同僚の机へ行くと、事の重大さがわかった。
BBCのニュースで津波が今まさに来ている様子を見つつ
同僚から「東京はそれほどでもないって連絡があった」と言われつつも
明らかに動揺している自分が居る。

現地スタッフが“事務所の電話で国際電話を掛けてみたら?”と言われても
まったく耳に入っていない自分。Skypeでひたすらに掛けまくっていた。

妻と呼ぶには早いが残して来た妻。
両親、妻の両親が気掛かりで仕方が無い。
埼玉と東京の多摩地区に居るとわかっていても
やっぱり声を聞くまでは安心出来なかった。


連絡が取れて、無事の確認が出来たが到底気は晴れそうにない。
出発直前に仙台の講演で喋って来たときに関わった方々。
個人的に運営している研究会のメンバー。
昔勤めていた会社の上司のご家族。
・・・。
「大丈夫ですか?」と連絡を入れたい気持ちがはやるがグッと我慢。
自分が連絡を入れる事で、もっと重要な連絡の邪魔をしたくないから。


途切れ途切れの電話の中で両親が言っていた一言が耳に残る。
「私たち家族は無事だから
あなたは自分がするべき役割をきっちり果たしなさい。」

2011年3月14日月曜日

ブータンという国

昭和天皇が崩御された際、阪神大震災が起こった際
ブータン王国では国レベルで哀悼の意を表して下さります。

今回の震災が起こったときも在ブータン王国の日本人を招いて
国王が自ら哀悼の意を表して下さりました。
http://www.bbs.com.bt/bbs/?p=4262

日本とブータン王国の関係が良好というだけでなく
ブータン人の心の温かさも感じます。

2011年3月10日木曜日

はじまり、はじまり。

赴任をして来て1週間ほどが経ちました。
アパートを探しつつも、ある程度は仕事もしないといけないと思って落ち着かない日々。
アパートも何とか目星が付いてきました。


ともう一つ。4月から始める事に通信制大学院。
こちらも入学手続きが済んで、書類が発送された旨連絡がありました。
とはいえ、日本国内に書類が到着しただけなので
実際にエチオピアへ書類が届くのは、出張者から渡される来週の予定。


仕事と学業と始まります。
今までも波瀾万丈で普通でなかったけど、これからの2年間も色々ありそう。

2011年3月8日火曜日

無い無い尽くし。

途上国へ来ると“海賊版”って色々な部分で目にします。
“正規版”って言葉を忘れてしまいそうなくらい多いです。


たぶんIT技術者にとって頭痛の種は“ウィルス対策”かと思います。
WordやExcelの様に、一度インストールをすれば、幾らでも使えますが
ウィルス対策のソフトってのは、ウィルスの情報を定期的にダウンロードが必要なので
年会費的な費用が発生します。
その為、“お試し版”的なウィルス対策ソフトを使って、お試し期間が終わればそのまま。


さて、今回の仕事先は長年IT担当者が不在であったため
IT環境の整備がかなり適当になっています。
ウィルス対策のソフトを整備する環境を整備したくても
・Windows OSのCD-ROMがない
・Internetが度々切れる
・コンピュータが古くて、容量がギリギリ
とウィルス対策以前の状態です。

“ないない!”と喚いていてもどうにもなりません。
これをどうにかするのが僕の仕事なので、少しずつ前へと進めて行こうと思います。

2011年3月6日日曜日

社会主義時代の痕跡




以前、ウガンダに居たときにも感じましたが
日本では見掛けない大使館・領事館をここアディスアベバでも見掛けます。

同じ大陸という事で、アフリカ諸国の大使館・領事館は納得ですが
1974~1987年の間、社会主義体制をしいていた名残でしょうか?
旧ソ連圏の東欧諸国、またアジアでは北朝鮮の名前も見掛けます。


19年前のエリトリア独立前後まで
エチオピア自体もエリトリア同様に不安定だったと思います。
それから19年経った今。エチオピアはエリトリアよりも確実に発展しています。
スタートラインが同じ様な状態であったこの2国の差は何でしょう?

海外の援助機関を極力拒絶してきたエリトリアと
援助機関を受け入れてきたエチオピア。
援助機関が入った影響を感じずには居られません。

2011年3月5日土曜日

Democracyの波

エチオピア赴任前におこり始めた民主化の波。
北アフリカのチュニジア。
中東のエジプトと実際に民主化へと動いた。
さらにはバーレーン、イエメン、ジョルダン、極めつけはリビア。

しかし、日本に居るとこうしたニュースは情報量が少ない。
ずいぶんとやきもきしたのを思い出す。
エチオピアへ着いてからは黙っていてもこうしたニュースがわんさか入ってくる。


そこで一つ心配に思うのは
「体制(政府)が気に入らなければ、デモすればいいか。」
といった風潮が出来てしまわないだろうか。

内閣支持率20%前後と低空飛行をして
国民そっちのけで政権交代、政権維持に必死になる国会議員。
それでもデモすら起こらない日本も特別だが
ちょうど民主党が政権を採ったとき
内閣支持率は60%位と期待値がとても高かったと思う。
北アフリカ、中東で起きている民主化運動も
期待値が高すぎやしないかと心配だ。

我々日本人もそうだが、これらの国の国民も
しっかりとリーダーを選んで欲しいと思う次第。

2011年3月4日金曜日

眠いのですよ。

メインストリート「ボレ通り」


3/2の真夜中に到着。
激しい時差ぼけと、移動の疲れ
そして極めつけは2,400mというアディスアベバの標高。

よく眠れません。
JOCVでBhutan赴任当初も眠りが浅かったので
標高の高さが一番睡眠に影響を及ぼしていると思われます。

今日も小学生並みに早寝です。
おやすみなさい。21:00就寝。

事務所からの眺め

2011年3月2日水曜日

エチオピア到着


昨日の晩というより、未明にエチオピア到着。
イスタンブールからの飛行機の機内では、身体をよじらせながら就寝。
超不自然な姿勢ながら、眠れてしまう自分自身にあっぱれ。
いや、単に疲れていただけかもしれない。


ご近所を半年ちょっと前に赴任している同僚の方に案内してもらい
昼前にホテルへ一旦帰宅。
ちょっと片付けを済ませてから再び昼ご飯を食べに外出。

しかし、自分の居る場所と町中での位置関係が全く判らず
ただ闇雲に歩くのみ。
2,000m超の標高になれていない身体には目的地も無く歩くのはキツく
そうそうにホテルへ戻って休憩。

物資が豊富で、ひもじい思いをしなくて済みそうな印象で一安心。

2011年3月1日火曜日

経由地イスタンブール





昨夜、イスタンブールへ到着。
機内でたっぷり寝たのだけど、到着してすぐ夜ってことは再び寝なきゃいけない。
頑張って寝たけど、現地時刻AM4:30にはどうにも目が覚めてしまう始末。
仕方が無いので早めに出掛ける準備をして市内観光をする事に。


あいにくの天気。そして気温も低い。
イスタンブールの気候なんて全く気にしていませんでした。
寒いけど、衣類は成田でアディスアベバまで通しの荷物に入れてしまったので無し。
結局、日本を出るときに着ていた衣類のまま外出です。


今回はひたすら歩き回って、最後にケバブを食べてホテルへ戻る事に。
テコテコ歩き回るだけの半日だったけど、見所沢山ありそうなので
次回の乗り継ぎでは見る所をしぼって観光してみようと思います。

さてさて、これからが本番。
アディスアベバへ向けて出発です。