2009年5月29日金曜日

事務所混乱中

Q)理由は?

A)期限付きで仕事を指示されたから。



まぁ、いかに普段仕事をしていないかが伺えます。
仕事の内容は“古くなった物品の処理”。つまりは棚卸ですね。

実物を探しに行かないで
知っていそうな人に物の場所を聞いたり
中途半端に管理していた帳簿を基にして済ませようとするから
いつまで経っても先に進んでいない様子です。

しかも、全体の流れを考えずに
自分他割り振られた部分だけをこなして済ませようとするので
トンチンカンな事をやっていたりして、結局やり直し。

さぁ、所長が切った期限は今日いっぱい。
果たして終える事が出来るのか??

2009年5月28日木曜日

賑やかなトレッキングへの道



いつもは殆ど誰も歩いていない日曜日トレッキングへの道。
というのも、この先にある小さな集落と、街とを結ぶ道なので
その集落であろう住人くらいしか歩いていません。


しかし、先日は違いました。
ぞろぞろと人が歩いていきます。
聞くところによると、この先にある教会でお祝いとか。



毎週日曜日、順番に街中の教会でお祝いがあるようです。

2009年5月26日火曜日

動き出しました。

今年の2月末なんですが、所長から呼び出しが

「陽介、国連ボランティアの2年目どうする?」

“どうするって、エリトリア事務所で2年間働くつもりで着たんですが”
と思いつつも聞いていると

「2年目は別なところへ異動したほうがいいと思う」

確かに、2年目も1年目同様に仕事があるか微妙です。
というのも、ここでは国連機関は活動がほとんど出来ないのです。
現地スタッフもな~んか、ダラダラと時間を潰している様な感じ。
そこで私からも「異動したい」とお願いしました。


当時取り組んでいた仕事を成功させた上で本部へ話そうと決まっていたので
暫くは仕事に専念する日々となりました。
取り組んでいた仕事も、形になったので本部へも異動のお願いを。
すると本部が進めてきたのはバンコク事務所。

しかし、それも今月に入って改めてお願いをしていたのですが
その後は音信不通。
契約元の規定上、任期を1年以上残したタイミングでの異動が必須なので
6月も終わりに近づき、あせっていました。


そんなギリギリの状況でほんぶが動き出してくれました!
バンコクの事務所からも、職務経歴書の要求。
タイミングがいいのか?バンコク事務所所長もニューヨークへ出張中。
バンコクを勧めてくれた本部と
最終決定をするバンコク事務所所長が直接話せる状況にあります。

お願いだから、異動よ実現してくれ~!!

2009年5月21日木曜日

迫りくる6月

ぜんぜん進捗が見られない異動の話。
しかし、どうしたわけか焦りを感じません。


昨晩、所長と出張で来ている方と3人で飲みました。
その飲みの席で
「J.A.はノルウェー政府の仕事に就けた。
M.M,はUNFPAのコンゴ事務所に仕事を見付けた。
これまで、みんなオレの下で働いている人は
次の職場はいいところへ行っている。
陽介、お前も何としてもいい所へいかにゃならん!
お前だけを残して、俺も異動できん!」


嬉しい一言。しかも、もの凄く意気込んで下さっております。
焦りを感じなくとも、やっぱり早く決まって欲しいのが本音。

2009年5月20日水曜日

水無し月


水無月ではないですよ。雨が降らんのです。
首都は水道がありますからいいですが地方は大変なようです。


先週末に歩いたときには牛の行列を見ました。
どの牛も、痩せ干せて、骨ばっておりました。
“あぁ、日本の牛はビールまで飲める牛も居るけど・・・”
と内心思いましたが、流石に口には出せません。

なんでもこの牛の行列は
牛飼いの人いわく「町まで水を飲ませに行かせる」との事です。
片道10km以上も歩いて水を飲ませに行くとは・・・。

より地方は、もっと大変なことになっていそうです。

2009年5月19日火曜日

もうすぐ5月24日ですよ。準備は出来てますか?

この5月24日はエリトリアにとって、とっても大切な日です。
エリトリアがエチオピアから独立した記念日です。

街中は、この独立記念日へと向けて華やかな飾り付けを行い
祝賀ムードになりつつあります。
電燈一本一本に国旗をつける人達、街頭を飾る商店、カフェ、・・・。


と同時に、ここ最近街中で良く見掛けるのは
やたらと沢山の警官と兵士たち。
う~ん、エリトリア的祝賀ムードいっぱい。

2009年5月18日月曜日

陣取り合戦

3月下旬、所長と共に役割を終えた国連監視団(UNMEE)の機材を
保管先からエッチラオッチラ同僚と共に力を合わせて運んできました。

その数日前、上位機関の面々と共に機材を取りに行ったのですが
「俺たちゃぁ、事務員だから力仕事は出来ないよ」
等と言い、一番軽いのを一つ運んできて終わり。


所長と共にあきれ返って
「陽介、奴らの事は気にするな。うちの事務所だけでもちゃんとしてくれ」
と頼まれて、サーバールームの整備を始めたのでした。

枠しか無い右側のラック
所長などと運んできたのは“ラック”(写真左側)です。
これがまぁ、結構重い。
枠だけでも重いのに、ファンやら、温度計やら
モニタやら、キーボードも付いているので更に重い!
そして中に入れるサーバーが重いですから
ガッチリしっかりしています。

ちなみ上位機関と一緒に持ってきたのは真ん中の写真右側の空っぽのラック。
枠しかありません。こりゃぁ、使えん!


コツコツとサーバーを設置したり、場所を決めたりと3月には大筋完了。
そしてあれから2ヶ月ほど経った先週末、上位機関から提案が・・・
「サーバールームの整理と、ラックの中について相談したい」
とメールが来ました。
2ヶ月間も、な~んもしないでほったらかしだったのに
今更相談も何もないでしょ!

どうも上位機関の担当者は計画性がないんですよね。
まぁ、いつもの事ですが
今更かき回されるのも嫌なので
「右側のラックはお好きに使ってください。
右側のラックを自由に使えるから、改めてラックの中について
相談・調整する必要は感じません」
と突っぱねておきました。
UNFPAの機器をまとめて設置

きっと影で“あいつは勝手に占領している”とか言っているんだろうなぁ。

2009年5月14日木曜日

国際協力の業界って

後任が決まった所長。
しかし、所長の異動先はまだ決まっていない。

引継ぎ文書を書き始めた私。
しかし、異動先は決まっていない。


それでも二人とも異動に向けて準備を進める。
たぶん、ある日突然急な日程にて異動の話が決まると思われる。
お互いに手続きや、調整をしている本部を信じるしかない。

2009年5月12日火曜日

自分の名前で検索してみると・・・


これまで「エリトリア便り」と題して
2ヶ月ごとに発信をしておりました。
UNFPA東京事務所にも、現地報告として送っておりました。

東京事務所から
「東京事務所のWeb siteに載せたい」
と言われて了承していたのですが、その後音沙汰なし。

ところが!!!
何気なく自分の名前にてGoogleで検索してみたら
“UNFPA”が検索結果にあるじゃぁありませんか!
国連人口基金東京事務所 フィールド便り



知らせてくれよぉ。

2009年5月7日木曜日

進むのみ

今日、急遽決まった職員会議にて、所長が異動することが伝えられました。
大半の職員にとっては突然の知らせではありますが
私は以前からこの話題についてはチョクチョク話していたので
「遂に公開したのね」
といった具合。


会議が進む中で、私の立場“UNV(国連ボランティア)”について話がありました。
継続的にUNVをUNFPA Eritrea事務所へ派遣しているので
“今後についてはどうなのか?”
というのが議題でした。そこで所長が・・・
「陽介もバンコク異動へ向けて、本部と話をしている」
と突然の公開!

これまでは水面下での動きではありましたが
今後は皆の知るところとなりました。
エリトリア事務所の同僚は“まだまだ陽介は必要だ”と言ってくれますが
所長と私の統一した見解は“現地スタッフでも行える範疇”です。


異動期限は今月末!さぁ、どうなる?
来月には私は何処にいる?エリトリア?バンコク?それ以外の場所??

2009年5月5日火曜日

知らないほうがいいこともありますな。

エリトリアのUNFPA職員給与一覧を見る機会がありました。
一覧になっているのは、てっきり複数年かと思ったら月給でした。

あぁ、あの人はこんなにもらっているの!
で、あの仕事?

この人もこんなにもらっているの!
で、あんな仕事?


それでも給与が少ないと騒いでいるとか・・・。
ちなみに現地スタッフの最高は
エリトリア政府大臣の6倍近くもらっています。
(ちなみに私の現地生活費よりも上をいく)


あぁ、それで自分の年か考えないで仕事して
問題がおきれば呼びつけて
ありがとうも言わずに終わる。
残業なんて、ほとんどしない。
所長不在のときも、代役を務められない。


悲しいデス。

2009年5月3日日曜日

よし! 頑張っていこう!!


楽しかった遠足も終わり。
いえいえ、楽しかった休暇もおしまい。
AM01:15カイロ発 AM04:00アスマラ着の便でエリトリアへ戻ります。
本日一日は、洗濯したり、荷物を片付けたり、そして寝る。
月曜日からの仕事に備えます。


さぁ、勝負の月が始まろうとしております。
自分自身にとっての勝負ですけどね。
頑張っていこう!



P.S.エリトリアからだと、カイロも先進国に見えます。

2009年5月2日土曜日

動物孤児院(Animal orphanage)@ナイロビ

こんな所があるんですね。
話には聞いたことがあるような・・・無いような。


いろんな理由にて親を亡くしてしまった動物たち。
そんな孤児達がここには居ます。
入り口付近にて「案内するよ」と言ってくれた係の方。
友人と“どうせ後でお金をせびるんだよねぇ”とマイナスな想像。


しかし、一度案内が始まると面白いこと。
日本だと檻の外側に設置してある柵の中へ入るなんて事はありえません。
ましてや、動物に触るなんて、ヤギとか羊、ウサギが良いところです。

懐から取り出したナッツ一粒をしっかりと指の間に挟んでダチョウの目の前に
ダチョウは必死になってナッツを食べようとします。
「お前もやってみな」って事で、私も。
そしてダチョウのくちばしが、ガブっ!!


猿のコーナーへ行くと、自身の頭を檻に近づけます。
すると猿は、他の猿にやるように、シラミ取りを始めます。


チーターのコーナーへ行くと
チーターを呼んで、檻越しになでたり、チーターになめてもらったり。
「お前達も手を出してみろよ」
と言うので恐る恐る手を出すと、チーターがベロンと一嘗め。
肉食動物に手を出して、ベロンと嘗められるなんて思いもしませんでした。


動物孤児院を後にして、友人が5月24日にナイロビで開催される
“サファリ マラソン(高橋尚子さんも参加予定)”に
参加するべく登録をしに行くと日本語で話し掛けてくるケニア人登場!
話を聞くと・・・
「日本で瀬古選手と一緒に走っていたよ。
メダルはオリンピックが銀。世界選手権が金、金。
New Yorkマラソンが1位。・・・」
はぁ!あっさりとメダルの事を言うけど・・・
銀、金、金ってスゴイじゃないですか!

Douglas Wakiihuri氏でした。
写真

しかし身長が殆ど同じなのに、腰の高さが違い過ぎる!!

2009年5月1日金曜日

サファリツアー@マサイマラ国立公園

いつもの休暇と言えば、日本へ一時帰国をして美味しい物を食べて
日本食材をしこたま買って帰ってくるというのが流れでした。

今回は半分を日本、半分をケニアで過ごし
ケニアではリゾート地へ行ってみようと思い
ケニアにいる友人に相談しました。
広い空、地平線。勝手に描いていたステレオタイプのアフリカ
友人に勧められるままに参加したツアー。
事前に殆ど調べずに参加しました。
下調べもしていないので、予想も何も無いのですが
とっても満足のいく2泊3日でした。



合計4回参加したサファリツアーも
間近で象、キリン、ライオン、チーター、・・・多くの野生動物と出会い
広大なサバンナの大地の景色を見ているだけでも満足です。

事前に調べていたらノートパソコンも持って行っていたかもしれません。
携帯電話も持って行っていたかもしれません。
しかし、持って行かなかったお陰で
もの凄くのんびりと過ごすことが出来ました。


一方、しょっちゅう何処かと携帯で電話していたフランス人夫婦。
奥さんは“せっかくリゾート地へ来たのに・・・”と不満げでした。